一木厨(妹)、昼休みに警鐘を鳴らす

工場ライン作業員が昼休憩に更新するブログ。

今日はAKB総選挙!!まだ放送前だけど、感想書きます。

あれは10年くらい前だったか、仕事でいつもみたいに残業して、夜道を歩いて帰ってて、いつもの道なんだけど急に心細くなって、ぱっと灯りに吸い込まれるように深夜営業してるゲオに入った。

何のあてもなくふらふらと店内を見て回って、ふと目についた CD を手に取って、じっくり眺めた。 CDジャケットに は制服を着た女の子がたくさん写ってて、へぇー可愛い!と思って、 CD を棚に戻して帰った。

その後、多分 GYAO だったと思うんだけど、配信されてるアイドルの МVを見て、私があの時手にした CD が AKB 48のものだったと知った。

その  M V のキラキラ感に惹かれたし、曲も好みだったから、 後日その CD を買った。

あれ本当にいい曲だと思う。

あれから何回か引っ越して、その度に荷物は処分してきたけど、その CDはまだ持ってる。今もたまに聴いてる。 M Vも 印象的だった。出演者のキラキラした表情を今でも鮮明に思い出せる。

 

CDを買って、AKBのことを調べだして、 AKB のコンセプトは、芸能界に憧れがあるけど、どうしたらいいかわからない、足がかりが欲しい、そんな女の子達が集まって自分の夢に向かって頑張る。そういうグループなんだって知った。私は演劇が好きなんだけど、女優志望の子もたくさんいた。じゃあこの中から私が好きになる女優さんも出てくるのかもなって思って見てた。

 

そのなかでも特に気になったのは、何となく自分の若い頃に似てる一人の女の子。その子も女優志望らしい。 私に似てるって別に容姿のことではないですよ。都会の、多分ちゃんとした家に生まれて、アイドルグループに入るほど見た目も綺麗で、でも、それでもなんか似てましたね、私に。そういう子を見つけられるところも、大人数のアイドルグループならではだなあと思ったりしてた。



そんなAKBが、総選挙なるものをやり始めた。

最初テレビで放送されることはなくて、私は雑誌で順位を知って、その時は別にふーんと思っただけだった。 自分の気になってた子はこの順位なんだぁとチェックして、それだけで終わった。 女優志望ならアイドルランキングが低かろうが大した問題じゃないしね。

 

その後、テレビで放送されるようになった AKB 総選挙。私も見たんだけど…

その光景…ごめんなさい、はっきり言って、まともに見ていられるようなものではなかった。ランキング付けるにしたって、もっといくらでもやりようあるでしょって感じで。

年端もいかない女の子を並べて順位づけを楽しんでいる群衆、という映像は 、はっきり言ってトラウマもので。わざと残酷に見せてるの?とにかくAKBの提示するアイドルってものと、自分の思うそれが随分かけ離れたところにあるんだなと、たった一回の放送で突きつけられてしまった感じでした。

あんな風に幼い女の子の魅力ランキングに興じる群衆を見て、恐怖を覚えるのは仕方ないことだと思う。自分も元々は幼い女の子。あんなん見たら鬱な気分になるよ、そりゃあ。


ランキングが振るわなかったメンバーが号泣して、ごめんなさいとか言って、ショック受けてる姿も見てるのがすごいつらかった。

だって彼女達はまだ駆け出しで、そもそもランキングも何も無くない?

今はみんな同じ服で、同じ曲を同じ歌詞で歌って、同じ振り付けで頑張ってる最中。個人戦に入る前の準備段階。件の女優志望の子は、まだ演技の訓練も しっかりやってないんじゃない?

 

本当は女優志望なら、 アイドルやってる時間に演技の訓練しなきゃいけないはず。でもそうしないのは?そのへんの普通の女の子が、どうすれば女優になれるか分かんなくて、芸能界への足がかりとして入ってきた訳だよね?まさにAKBのコンセプト通りに。応援してくれるファンが欲しかったり、単純にレッスン費用を稼ぐために入ってきたのか、その辺りはよくわかんないけど。まあ、女優志望なのに敢えてAKB入ってくるってそういうことだよね?

 

私はそのために頑張ってるその子を見て、いいなって思ってたけど…

 

私は彼女が、ランキングが低いからと泣いてる姿を見て、早くAKBから離れた方がいいと思った。向かう方向が違ってるよと思った。

 

総選挙を見ると、AKBの言う芸能って一体何なのよって思ってしまう。

アイドルならば魅力ランキング付けられるのはしょうがないかもしれない。でもAKBのコンセプトからすれば、あんなふうにテレビで放映するのは何か違うんじゃない?と私は思った。

年端もいかない女の子を並べて順位づけを楽しんでいる群衆の図は、世間からすれば、未来の彼女たちのお客さんから見れば、下品そのもの。女優目指して芸能界入ってきて何やってんのって思われるだろって私は思ったけど。

 

それが彼女達の為であると、プロデューサーもファンも言う。でも実際は…

 

私の気になってた子は、女優を目指すことを辞めてしまったみたい。

どんな経緯があって、どんな心境の変化があって辞めてしまったのか、全くわからないけれど、なぜ気持ちが切れてしまったのか、わからないけれど…AKBを卒業して、さあ本番はこれからって、こっちは思ってたから、ここで辞めちゃったら今までの事、一体何だったんだって思ってしまった。ただ女の子としてとかアイドルとして?魅力ランキング付けられて、それで終わっちゃった の?女優目指して入ってきて、一体何やってたんだってことになっちゃうよ、って。

 

大事なのはこれからだったんだよ。 それをプロデューサー秋元康さんはちゃんと彼女に伝えた?せっかく自分プロデュースのグループに入ってきた子にちゃんと伝えてくれた?ここからが始まりなんだって。

 

初回で「え?」ってなって嫌悪感を抱いた総選挙。「これは違う」ってなって、それからは見なかった。それでもずっと続いている総選挙。

去年、久々に見てみた、どうなってるのかなって。そしたら初回と全く変わらない光景がそこにあった。

 

そもそも私がAKBというものを誤解しているだけなのか。夢を持ってる女の子集合~ってやって、大切なことを教わらないままに、魅力ランキングつけられて去ってく女の子。こんな見方になっちゃうの私だけ?ファンの人って好きだからファンやってお金出して投票してるわけだけど、なんか違うって違和感感じない?私がおかしいの?誰か教えて。



 

貧困少女は性を売...らない!!空想イメージが引き起こす地獄絵図。お願いですから正して下さい、その認知の歪みを。part3

子どもの貧困が問題視され、私が子供の頃よりずっとずっと多く、メディアでそれが取り上げられる回数が増えて、今後も貧困少女に対する失礼発言は世の中を蔓延することでしょう。

テレビや書籍での貧困少女に対する書かれ方は私からしてみると「え?」と思うような表現や記述が本当に多い。売春とかそういう性の問題に限らず、当事者でない人が見たり読んだりしたら、偏見持つだろうなって思うような表現かなり多いです。

でも、それが失礼であるにも関わらず、part1part2で書いてきたような理由から、周りがそれを止められず、その結果、偏見を持つ人が出てきて、 かつての10代の頃の私のように嫌な思いをする子がたくさん出てくるはずです。

 

何も悪くないのに、追い詰められた位置に立たされてる子が 、きっといっぱいいる今の日本。

 

長々と書いてきましたが、言いたいことはただ一つ。「お願い、負けないで!」ってことです。

偏見持って接してくる人へ向けたタイトルになってるんで、この記事ではそっち側に何か言わなきゃいけないのかもしれませんが、そっち側へのメッセージは今思い浮かばない。

とにかく今は、昔の私のように、追い詰められてる子にメッセージを送りたい!

 

生きてく上で、なんで私そんなこと言われなきゃいけないんだ。とか、なんでこんな蔑まれるんだろうっていう場面が何度も何度もこれから出てくるはず。私が、そうだったから。

実際、私は何度も何度も負けた。人から傷つけられることを必死に回避し、それなのに何故か自分で自分を傷つけるようなことを繰り返す日々を送った昔の私。

ずっと感じる、周りに持て余されてるような感覚。 自己評価の低さから、ずっとつきまとう「何か」に対する申し訳なさ。そこに付け込んで 支配してこようとする同じく劣等感たっぷりな男の人。

 

何度も心が潰れる感覚がして、それでも何回もやり直して生きてきました。こんな場所から誰かもわかんないような人から「負けないで」とか言われても 響かないかな。 それを響かせられるようになるため、私は自分の体験から感じたことを今後もこのブログに更新していこうと思います。

どうすれば伝えられるのかわかんないのが辛い! ですが、こんなわけわかんない文章でも何人かに伝われば…出来ればもっとちゃんと整理して、後日もう一度このテーマについて書ければ…

 

疲れてしまったので今日はこの辺りで終わりにします。ありがとうございました。

貧困少女は性を売...らない!!空想イメージが引き起こす地獄絵図。お願いですから正して下さい、その認知の歪みを。part2

どれだけ貧困だろうと性を売らない子は絶対売らない。性は貧困だから売るわけではなく、あくまでもそれを売ろうと決めた人が売っている。貧困だと売ろうと思ってしまいやすい。だから性を売る子の割合は、貧困の子が多くなるけど「貧困だから性を売る」これはまったくもって間違いである。

これが若い頃の私の認識。

自分にその余波がくるのが非常に迷惑だったから、貧困と性の売買を関連付けんのまじやめろ!と心の底から思っていた、少女期の私。

 

ある日、運良く、とある企業に就職することができた 。

私の勤務先は、約8割が女性だった。上層部はほぼ男性、男性社員と女性社員がいて、アルバイトやパートはほぼ女性という割とありがちパターンの企業で働いていた。

様々な女性と出会った。皆、それぞれに事情を抱えて生きていた。私自身、いろんな事情を抱えて生きた。その中で自分の当たり前が事あるごとに変化していった。

10代だった私は、今、30を過ぎた大の大人になった。

かつて私の持っていた「どれだけ貧困だろうと、性を売らない子は絶対売らない」この価値観も、一見当たり前に見える価値観も、自分の中で微妙に変化した。 

 

私たちは常に選択しながら生きている。

AorB

もしそれが、欲しいものor欲しくないものだったら、悩む余地なく前者を選ぶんだから対して意識もしないだろうけど、意識して、何かを選ばなきゃいけない時ってたくさんある。

欲しいものor欲しいもので選ぶことが多い人生だったら、どんなにいいだろう。

私たちは、大概の人は、欲しくないものor欲しくないもので悩まされることがほんとに多い。 たまに、どっちも本当にいらねーわって言う、そういう二択 から どちらかを選ぶこともある。

私が貧困少女だった頃、その「どっちもいらねーわ」からどっちかを選ばなきゃいけないってことが、めっちゃ多かった気がする。

しかもこの選択の際、全て自分の意思だけで決定できるかといえば、そんな事はない。社会に出れば、色んなしがらみの中で生きていく。いや、社会に出なくたって、家庭内にもしがらみってある。純粋に自分の意志だけでいつも何かを決めていくって、無理だ。

 

私は生きていくうえで売春を選んだことはない。それは何故か?答えは、選択肢に一度もそれが入ってこなかった からだ。それが選択肢に入ってこない、そういう運命だった。売春を絶対したくない私にとって、それは本当に幸運なことだったと思う。

 

世には絶対売春なんかしたくないのに、運悪く売春というものが選択肢の中に入ってきてしまい、そしてそれを様々なしがらみから選択せざるをえない状況になってしまった子が絶対にいると思う。

そんなんありえんでしょって思う人に、それをどう説明すればいいのか。それを説明出来なきゃ、このブログに説得力なんてないかもしれないけど、どう説明すればいいかわからん。ごめんなさい。ただ、ずっと長い間、自分の中であれこれあれこれ考えて、そういう結論に自分の中でなった。もしかしたらどっかの専門家 的な人が、書籍かネット記事で説明してくれているかもしれない。私はそういった類の本を結構読んできたけど、大体そうなってしまった「後」のことが丁寧に書かれているばかりで、そうなる「以前」のことを、追い詰められる状況や心理を、分かりやすく解説してくれる本にまだ出会ってない。

 

とにかく今私が言いたいのは、貧困少女=売春のイメージ付けが死ぬほど嫌だが、それを声を大にして言えないって事。

貧困少女=売春のイメージ付けはほんと良くないとずっと思ってきたし、今でもそんなイメージ付けはしてほしくない。でもそれを声を大にしては言えなかったし、今でも言えない。

結論としてなぜ言えないかって言うと、私が世の大人を今でも信じられていないからだと思う。 貧困少女=売春が違うよってなると、「じゃあ売ってる子は全員自分の意思なんだねー」って、少女を傷つける人が大量発生するんだろうなって思ってる、私は。

 

なんでそう思うか?それは説明するまでもない。性犯罪が起きた時、被害女性が犯人以外からも追い詰められる、そんな世の中だから。

確固たる自分の意思でそっちへ行ったなんていうイメージになったら、今以上のひどい二次加害が頻発するに決まってるから、だから、それ以外の子に迷惑や余波が来ようとも、貧困少女=売春(してしまう)のイメージは崩さない方がマシだって、そういう結論に自分の中でなってしまう、どうしても。

 

次に続きます。

 

貧困少女は性を売...らない!!空想イメージが引き起こす地獄絵図。お願いですから正して下さい、その認知の歪みを。part1

※長くなるのでpart3まで分けて投稿します。

 

10代の頃、お金がなかったのでバイトをしてました。

地元で働いても良かったんですが、電車に乗って地元から一番近い繁華街にバイトに行っていました。

帰りはいつも夜9時頃になります。繁華街から地下鉄に乗ってJR に乗り換えて帰るって言う道筋だったんですけど、交通費の支給は1日につき500円って決められてたので(ちなみに私の家からバイト先までは往復で1360円かかっていた…)お金を少しでも節約するために、地下鉄には乗らず、 JR の駅まで30分くらい夜道を歩いて帰ってました。

夜道危ないじゃんって思うと思いますが、そうでもありませんでした。結局、移動する人はみんな地下鉄に乗るので、道に人が全然いないので、危なくなかったです。

ただ、バイト先から歩き出して5分くらい、まだ辺りに人がいるところを歩いてる時は、何度か嫌な目にあいました。

バイトの制服を大きめのショップ袋に入れて 、とぼとぼ歩いていると、たまにこちらにすっと近づいてくる人がいて(いずれも男性)私に向かって誘いの言葉を発する。私は適当に理由をつけてそれを拒否する。すると、もう私のことは見えてもいませんというような素振りで立ち去っていったり、時に暴言を吐いて離れて行ったりする。そんなことが何度もありました。

 

ナンパをされて怖かった、という話ではありません。

近づいてきた男性たちが私に投げかけた言葉は、「遊びに行かない?」とか「可愛いね」とかそういった類のものではありませんでした。

私がかけられた言葉は、およそ初対面の、街ですれ違った見ず知らずの人にかけるには信じられない内容のものばかりでした。

人によって言い方は違いましたが、要約すれば「今から僕と売春しないか」と言う内容を皆、口にしたのです。第一声から「ホテル行かない?」(腕を軽く掴みつつ)みたいなのもありました。怖。

バイトを辞め、帰りの夜道を歩くことがなくなるまで、一人二人ではない何人かの男性からそんなようなことを言われたわけです。

 

何故私が彼らのターゲットになったのか?あんな風に声をかけられたのか?考えたのですが、はっきり言って、この一点しかないと思います。

貧困少女は性を売ると言う偏見がある から。 本当にこの一点に尽きるでしょう。

夜の繁華街を大きめのショップ袋を持って歩く10代と思しき女。見るからに安物の服を着て夜の繁華街を歩く女。ある一部の人から見れば、貧困で家庭環境も良くなく、家出して街をさまよってる子だったのでしょう。

実際は周りのサラリーマンと同じ、1日働いて疲れて歩いて帰ってるだけなんですが、ある一部の人にはそうは見えなかったんでしょう。だからあんな風に声をかけられたんでしょう。

別に街で声をかけられようがかまいませんよ、私は。が、「売春しないか?」は失礼やろ?どう考えても。人の常識やろ、それは。

私みたいなのには、何言っても良いと思ったのか?こいつにはこれ言っても、別に侮辱にはならんやろうってか? どんな差別だよ。

 

こういった過去の経験から、私は世にはびこる、貧困少女=売春というイメージに思いっきり嫌悪感を抱いているのです。 いろんな場所で、特にテレビやネットの報道関係で、貧困少女=売春というのが出てくるたびに「迷惑迷惑!やめとけや!世の貧困少女達は売春を忌み嫌って生きてるんやから。変なイメージつけんといてくれ」と強く思っていました。

これ絶対私だけじゃなく、 世の中の、特に貧困家庭で育ったような人は、それで嫌な思いをしたことがある人は、きっとみんな思ってると思う。口に出さずにね。

口に出さずに…

何で口に出さないか?売春しない貧困少女達や売春しなかった元貧困少女達が、貧困少女=売春 のイメージづけやめろやって何で声を大にして言わないか?

 

それを次回は書きます。

 

はじめに。

年間でカウント出来るほどしか言葉を発さない厨(くりや)ですが、一人脳内で怒りを爆発させる回数は多いです。感じる違和感に耐え切れず絶望することも多々。

 

湧いてくる怒りや違和感、その多くは忘れてしまえばそれで良い事ばかり。

しかし、中には「これ放置してはいけないのでは」と、自分の中で強く警鐘の鳴るものも、混じっている。

このブログでは、その「放置したらやばい」を書いていこうと思います。

 

 はてなブログは、1アカウントにつき、テーマ別に3つまでブログを開設することが出来るのですが。

1つ目のブログはれい(姉)が、2つ目のブログは厨(妹)がやってるこのブログ。

れい(姉)は知らんが、厨のブログは病みも闇も隠さない、暗い暗い暗がりブログです。

だから最後の一つは、3つ目のこのブログは、楽しい趣味ブログにしようと思っていました。人がいっぱい集まってきてくれるような…

なのに、まーた闇闇になりそうなブログを開設してしまった!

 

はじめる前から、自分自身ちょっと「うっ…」っとなってるこのブログ。

それでも、たとえ闇闇でも、書いておかねばならないことがある。書いたからどうなるってわけでもなさそうやけどね!

 

どうぞ読者様、よろしくお願いいたします。