一木厨(妹)、昼休みに警鐘を鳴らす

工場ライン作業員が昼休憩に更新するブログ。

貧困少女は性を売...らない!!空想イメージが引き起こす地獄絵図。お願いですから正して下さい、その認知の歪みを。part2

どれだけ貧困だろうと性を売らない子は絶対売らない。性は貧困だから売るわけではなく、あくまでもそれを売ろうと決めた人が売っている。貧困だと売ろうと思ってしまいやすい。だから性を売る子の割合は、貧困の子が多くなるけど「貧困だから性を売る」これはまったくもって間違いである。

これが若い頃の私の認識。

自分にその余波がくるのが非常に迷惑だったから、貧困と性の売買を関連付けんのまじやめろ!と心の底から思っていた、少女期の私。

 

ある日、運良く、とある企業に就職することができた 。

私の勤務先は、約8割が女性だった。上層部はほぼ男性、男性社員と女性社員がいて、アルバイトやパートはほぼ女性という割とありがちパターンの企業で働いていた。

様々な女性と出会った。皆、それぞれに事情を抱えて生きていた。私自身、いろんな事情を抱えて生きた。その中で自分の当たり前が事あるごとに変化していった。

10代だった私は、今、30を過ぎた大の大人になった。

かつて私の持っていた「どれだけ貧困だろうと、性を売らない子は絶対売らない」この価値観も、一見当たり前に見える価値観も、自分の中で微妙に変化した。 

 

私たちは常に選択しながら生きている。

AorB

もしそれが、欲しいものor欲しくないものだったら、悩む余地なく前者を選ぶんだから対して意識もしないだろうけど、意識して、何かを選ばなきゃいけない時ってたくさんある。

欲しいものor欲しいもので選ぶことが多い人生だったら、どんなにいいだろう。

私たちは、大概の人は、欲しくないものor欲しくないもので悩まされることがほんとに多い。 たまに、どっちも本当にいらねーわって言う、そういう二択 から どちらかを選ぶこともある。

私が貧困少女だった頃、その「どっちもいらねーわ」からどっちかを選ばなきゃいけないってことが、めっちゃ多かった気がする。

しかもこの選択の際、全て自分の意思だけで決定できるかといえば、そんな事はない。社会に出れば、色んなしがらみの中で生きていく。いや、社会に出なくたって、家庭内にもしがらみってある。純粋に自分の意志だけでいつも何かを決めていくって、無理だ。

 

私は生きていくうえで売春を選んだことはない。それは何故か?答えは、選択肢に一度もそれが入ってこなかった からだ。それが選択肢に入ってこない、そういう運命だった。売春を絶対したくない私にとって、それは本当に幸運なことだったと思う。

 

世には絶対売春なんかしたくないのに、運悪く売春というものが選択肢の中に入ってきてしまい、そしてそれを様々なしがらみから選択せざるをえない状況になってしまった子が絶対にいると思う。

そんなんありえんでしょって思う人に、それをどう説明すればいいのか。それを説明出来なきゃ、このブログに説得力なんてないかもしれないけど、どう説明すればいいかわからん。ごめんなさい。ただ、ずっと長い間、自分の中であれこれあれこれ考えて、そういう結論に自分の中でなった。もしかしたらどっかの専門家 的な人が、書籍かネット記事で説明してくれているかもしれない。私はそういった類の本を結構読んできたけど、大体そうなってしまった「後」のことが丁寧に書かれているばかりで、そうなる「以前」のことを、追い詰められる状況や心理を、分かりやすく解説してくれる本にまだ出会ってない。

 

とにかく今私が言いたいのは、貧困少女=売春のイメージ付けが死ぬほど嫌だが、それを声を大にして言えないって事。

貧困少女=売春のイメージ付けはほんと良くないとずっと思ってきたし、今でもそんなイメージ付けはしてほしくない。でもそれを声を大にしては言えなかったし、今でも言えない。

結論としてなぜ言えないかって言うと、私が世の大人を今でも信じられていないからだと思う。 貧困少女=売春が違うよってなると、「じゃあ売ってる子は全員自分の意思なんだねー」って、少女を傷つける人が大量発生するんだろうなって思ってる、私は。

 

なんでそう思うか?それは説明するまでもない。性犯罪が起きた時、被害女性が犯人以外からも追い詰められる、そんな世の中だから。

確固たる自分の意思でそっちへ行ったなんていうイメージになったら、今以上のひどい二次加害が頻発するに決まってるから、だから、それ以外の子に迷惑や余波が来ようとも、貧困少女=売春(してしまう)のイメージは崩さない方がマシだって、そういう結論に自分の中でなってしまう、どうしても。

 

次に続きます。